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僕のNSP日記~其の1

1973年宮城県栗原郡若柳町。中3の一学期。部活終わりに通っていた中華屋の奥。そこにいた高校生が持っていたEPレコードを店のプレーヤーでかけたのがNSPのデビューシングル曲「さようなら」でした。

僕はあまりの透明感に魅了され、家に帰るまでずっと、頭の中で「さようなら」が鳴っていました。

 

僕のNSP日記~其の2

たしか、「さようなら」のシングル盤は1週間以内には購入したはず。若柳町のレコードショップ「キング時計店」には残念ながら在庫は無く、人生初めての取り寄せをしてもらった。顔なじみの店員さんに「このグループ、絶対売れると思うから、沢山置いた方がいいですよ」と言った。

 

僕のNSP日記~其の3

一年位前からウチの町にもフォークブームがやって来て、「キング時計店」にはフォークギターと弦、ピックやハーモニカ、タンバリン、ピアニカ、たて笛に混じりブルースハープなんかも置いてある楽器店だった。店員さんは「NSPってどんなグループなの?」と聞いた。

 

僕のNSP日記~其の4

「まだ、あんまり知らないんですが一関高専の人たちらしいです」と答えた。一関高専は隣町の岩手県一関市にある学校で自分の中学からも毎年何人かは進学する地元の高校の一つだった。そんな身近な町からプロデビューするグループが現れた事が思春期の僕には、かなりの衝撃だった。

 

僕のNSP日記~其の5

NSPに出会うまでの僕はビートルズ、日本ではタイガース、はっぴいえんど、そしてキャロルが好きでした。中3の僕には、全てが遠い世界のリアリティの無い音楽でした。隣町の5年制とはいえ高校生のレコードから聞こえて来るメロディと歌詞は、生まれて初めて景色の見える音楽でした。

 

僕のNSP日記~其の6

「キング時計店」に注文して2週間後、僕の手元にNSPのデビューシングル「さようなら」が届いた。ジャケット写真に写る3人組は、雪が積もった蒸気機関車の上でコートを着た、僕よりちょっとだけ大人なお兄さんって感じだった。高まる胸を押さえながら僕はレコードに針を落とした。

 

僕のNSP日記~其の7

音楽好きの母が衝動買いしたサンヨーのオットーというステレオに、透き通る様なアコースティックギターの3フィンガーとピックで奏でるあのメロディでイントロが始まった。目を閉じて聴いていると僕の頭の中に白い雪が降り始めていた。僕にとっての事件は8小節が過ぎた時に起きた。

 

僕のNSP日記~其の8

中華屋さんの小さなプレーヤーのスピーカーじゃほとんど感じなかったベースの音は、それまでのフォークソングにはありえない低音感で、テレビの画面がまるで映画館のスクリーンの大きさになったような感じがした。歌に入る前の10小節間で14歳だった僕はすっかり魅了されていた。

 

僕のNSP日記~其の9

「これがフォークソングのベースの音か?」ポールマッカートニーを彷彿させるベースの音だった。「さようなら」を5回ぐらいは聴いただろうか。そして、レコードをひっくり返してB面を見ると「新青春」とあった。この曲こそ生まれて初めて耳にする瞬間だった。「あっ、ドラムが入ってる」

 

僕のNSP日記~其の10

「いいじゃありませんか、どう生きたって」将来を考えはじめた思春期の自分には「人の期待より自分らしく生きなよ」というメッセージに聞こえ、それはもはや哲学だった。「雪、こたつ、みかん、小春日和に人◯し」という歌詞は田舎の少年の心にNSP を天から降臨させてしまったんだ

 

僕のNSP日記~其の11

デビューシングル曲にどハマりしたものの、NSPについて全く情報も知識も無い。「一関に行ってみるか」両親の離婚で離れ離れになった4つ上の姉が一関駅前の「パロマ」という喫茶店で働いていた。僕は栗原電鉄の若柳駅から電車に乗り、石越駅から東北本線に乗り換え一関に向った。

 

僕のNSP 日記~其の12

一関には中ニの時、若柳の友だちとボーリングに行き、帰りに姉の喫茶店に行った事があった。姉が「キョウジの好きなレコードかけてあげる」と言って吉田拓郎の「元気です」をかけてくれた。「さようなら」のレコードを握りしめながら、そんな事を思い出していた。「一関、一関」

 

僕のNSP 日記~其の13

駅を出て右に歩いて階段を上がったところに「パロマ」はあった。店に入ると姉は「何かあったの?」と驚いた表情で聞いてきた。僕は持っていたレコードを見せて「NSPって知らない?」と聞いた。姉は「メンバーもたまに来るよ。天野くん、そこの雀球屋さんの常連だよ」と言った。

 

僕のNSP 日記~其の14

僕の父は長年働いていた若柳のタクシー運転手を辞め一関にうどん屋をオープンする準備をしていた。離散した家族は僕以外、一関にいる。人生を変えようとしているグループが一関にいる。「一関かぁ」僕は「パロマ」を出て目抜き通りに出るとギターがずらりと並んだ店を見つけた。

 

僕のNSP日記~其の15

「さとう屋楽器店⁈」すぐ店に入ろうと思ったけど新品のレコードを持って入るのは臆病な僕には出来なかった。ガラス越しに中を覗くと音楽誌の広告にあるようなギターも沢山あった。この街には家族とNSPと楽器レコード、喫茶店も高校もある。あとは友達がいれば最高だなと思った。

 

僕のNSP日記~其の16

父のうどん屋は大町にある「福原デパート」の地下に開店予定だった。「一関に転校するか?」と聞かれた事もあったけど沢山友達もしたし好きな女の子もいる若柳の中学校を卒業したかった。「さとう屋楽器店」の前でそんな事を想い、帰る列車の時間まで「パロマ」で過ごす事にした。

 

僕のNSP日記~其の17

店に戻ると姉が「ぼっくを紹介しようか?」店の2階部分から階段を降りてきた少年がいた。小柄でハンサムな男の子だった。「ヨロシク」と笑顔で握手をしてくる彼はLPレコードを抱えていた。彼もまた僕のレコードを見ながら「それ何?」「NSP」「あぁ天野くんのね」「天野、、くん?」

 

僕のNSP日記~其の18

彼の名は光彦(仮名)16歳で僕より一つ上で店のオーナーの息子だった。「そのレコード何?」僕は聞いた。「キャロルだけど聞く?」と言って彼は店のプレーヤーの針を落とした。ノリノリのロックンロールを聴きながら僕の頭の中は「やけに真っ白な雪がふわふわ」が流れていた。

 

僕のNSP日記~其の19

光彦とはすぐに仲良くなった「キヨウジ、一関に来なよ」「高校からね」「天野くんと知り合いなの?」「まぁね」これで全てが揃った。音楽好きでNSPを知ってる友達と楽器店。僕は帰りの列車の中でNSPになりたいと夢見ていた。家に帰るなり「さようなら」のギターのコピーを始めた。

 

僕のNSP日記~其の20

「さようなら」のキーはAmだったけど中2からギターにハマっていた僕にはイントロを聞いてカポタストを5フレットに付けている事がわかった。ハマリング、ハマリングオフを繰り返す3フィンガー奏法も見事で実力の高さを感じた。少しビブラートがかかるボーカルの声が切なかった。

 

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