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僕のNSP日記~其の201


コンサート終了後僕は楽屋に向かい天野くんだけの接遇用の部屋で会った。「ごめんね。みっともない演奏をみせてさ」天野くんはそう言った。僕は心の中で「魂の叫びを見せてくれてありがとう」って言ってた。彼は「ジョージ君俺死んじゃうかも。どうしたらいい?」って顔をした。

僕のNSP日記~其の202

2005年7月1日彼は旅立った。
一日中「さようなら」を聞いていた。
2006年冬にフジテレビ「堂本兄弟」という人気番組から出演オファーがあった。打ち合わせで再会したのはきくち伸氏だった。彼とは10年前に「HeyHeyHey」というダウンタウンが司会の番組で仕事をした事があった。

僕のNSP日記~其の203

その際に下北沢で飲む機会があって彼は「僕も一関なんです」と言って知っていた。番組の最後に一曲出演者全員で演奏する曲を決める段階で当然流れ的には「ロード」だった。台本にもそう書いてあった。僕は思い切って「NSPのさようならを歌いたいんですけど」彼は驚いていた。

僕のNSP日記~其の204

僕は続けて「NSPの中村さんと平賀さんと演奏したいのですが」
僕はきくち氏としか出来ない、そう思った。きくち氏は「気持ちはわかるんですが、番組のコンセプトから外れるし、NSPの2人はまたゲストになってしまうし、うーん、、、」と悩んではいたが後日その方向で決定した。

 

僕のNSP日記~其の205

「堂本兄弟」収録は砧にあるTMCスタジオで行われた。演奏アレンジについて平賀さんが「虎舞竜バージョンがいい。天野が気に入ってたから」心動かれる言葉だったけど僕はNSPバージョンであの中村さんの3フィンガーと散々コピーした平賀さんのベースで歌いたかった。そう伝えた。

僕のNSP日記~其の206


番組のアレンジャーが前半を僕と中村さんと平賀さんの3人でNSPバージョンで後半から全員が参加する形で行きましょうと提案され決定した。本番「さようなら」の演奏が始まり感極まっていた。「何故音楽バララエティ番組で俺はNSPを歌ってるんだろう?」そう思いながら歌っていた。

僕のNSP日記~其の207

「さようなら」を歌い終え演奏が終わった瞬間に天野くんの声で「ありがとう」って確かに聞こえた。「約束した広尾のおでん屋行かなかったじゃん」って僕は言い返していた。そして少年の時NSPみたいになりたいって夢見ていた事がこんな形で叶っていた。「天野くん、ありがとう」

僕のNSP日記~其の208

2007年7月1日の天野滋氏3回忌。新宿厚生年金ホールはNSPファンで埋め尽くされていた。僕はまさにNSPのメンバーになりきり「新青春」「昨日からの逃げ道」そしてリッキーも加わり「いい」を演奏し、アンコールで"Char"の演奏でしかも虎舞竜バージョンで「さようなら」を歌った。

僕のNSP日記~其の209

中村さんが旅立ち一年2022年11月インスタグラムで平賀さんがスーツを着て賞状を持っている写真を見つけた。
「一関市勢功労賞」平賀さんにお祝いのメールをした。年が明け北参道にYSPのライブを見に行った。平賀さんのベースは老いる事もなく若々しく素晴らしい音で鳴っていた。 

僕のNSP日記~其の210
YSPのアンコールも終わり帰ろうと席を立った時近くにいたファンの人から「ジョージさん、NSPをやって下さい!お願いします!」と言われた。渋谷でのスリーハンサムズを見に行った時の打ち上げでも細坪さんから「ジョージ君が入ってさNSPやればいいのに」とも言われた事があった。

僕のNSP日記~其の211

実際、中村さんの当時の自宅は僕の自宅から歩いて1分だったらしい。2022年11月27日中村さんの命日の日に「NSPのなんて素敵なピクニック」が生まれた。平賀さんにお願いしてレコーディングでベースとコーラスをして頂き中学、高校、そして天野さんに捧げた曲も含めてCDを制作した。

僕のNSP日記~其の212最終回


2023年8月10日平賀さんとのユニットNoSPのライブはラドンナ原宿で行われた。歌っている間ずっと天野くんを中村くんを感じていた。あのCharも来てくれた。そして沢山のNSPファンが全国からかけつけてくれた。予告通り初期限定の曲リストだった。NSPが好きすぎたライブだった。

僕のNSP日記~あとがき


僕にとってNSPはまさに「三つ子の魂」だと思います。思春期に受けた衝撃のまま天野くんの背中を追いかけて来ました。これからも追い抜く事は出来ないけど走り続けて行きたいと思います。今日まで「僕のNSP日記」を読んでくれた事に感謝致します。またどこかでお会いしましょう♪

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